読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

サラダバーで結納

本当によくあるブログ。作品の感想や思ったことを書いているブログ。

「人はどうして死にたがるのか」 下園壮太

うつ状態になるのはなぜか。

それは原始人にまで遡って説明している本。

人はどうして死にたがるのか 「自殺したい」が「生きよう」に変わる瞬間

人はどうして死にたがるのか 「自殺したい」が「生きよう」に変わる瞬間

 

 原始人にはいくつもの心理的なプログラムがありました。

驚きのプログラムは薄暗い山道を一人で歩いているときに熊が現れたときに発動するもの。

怒りのプログラムは攻撃されたら反撃する、テリトリーや地位を侵すものを撃退するために発動するもの。

不安のプログラムは記憶を忘れさせないようにするために発動するもの。

悲しみのプログラムは気配を消し、行動を起こさせないために発動するもの。

そして、うつ状態というのは上記のプログラムが一斉に発動した状態のことを言う。

 

驚きのプログラムによって心臓はバクバクし胃が痛み喉はカラカラになる。

怒りのプログラムによって自分は正しいと思い、闘争への身体の準備がはじまる。

不安のプログラムによって最悪のケースを連想しつづけたり、眠るないう指令がでたり、おろおろしたする。

悲しみのプログラムによって食欲や楽しみがなくなり、疲労感が伴い、孤独を感じ、自分は必要ないと思うようになる。

うつ状態はこれらが一斉に発動している。

原始人ならば常に死と隣り合わせであったため有用なプログラムであるが、現代人はそれが命に関わるような事以外でも発動してしまう。

結婚式のスピーチをするだけでもドキドキして喉がからからになってしまうのだから、プログラムの過剰発動というほかない。

 

 

なぜプログラムが一斉発動するのかといえば、精神疲労がたまるからである。

自分の周囲の環境が変われば(良い悪いに関係なく)、その変化に対応する必要が生じ、それが精神的披露を生む。

それがうつ状態のわけのわからない苦しさを生み出すことになる。

他にも病気や怪我で精神疲労がたまることもある。

 

だが、その疲労に気が付かないことがある。

なぜなのかといえば、苦しみのプログラムのせいである。

苦しみのプログラムの目的は、複数の欲求に優先順位をつけて限られた能力を集中して発揮させることである。

例えば喉が乾いているのと腹が減っていることの二つの苦しみがあるとき、先にどちらを解決するのか優先順位を付ける必要がある。

それをやるのが苦しみのプログラムである。

ただこの苦しみのプログラムはこれまでの経験に基づく思い込みによって、疲労に低い優先順位をつけたりして、疲労を感じさせるタイミングを逃してしまう。

ほかにも、原因を一つに特定したがる傾向(原因決めつけ硬直思考)があるので、自分が納得できる出来事を「これが自分の不調の原因だ」と決めつける。

間違ったことを原因にしてしまい、その結果精神疲労はまったく解消されない。

 

 

うつ状態がひどくなると死にたくなる場合がある。

これは生きていく自信が低下するからである。

そして現代人の生きていく自信を低下させる要因は自分自身のコントロールである。

精神疲労がたまりわけのわからなく苦しさが続くと、原因が特定されない不安や怒り悲しさがあり、自分自身でコントロールできないため段々生きていく自信がなくなっていく。

そして次に諦めのプログラムが発動し、無力感、無意味感、悲観的未来予測、強い疲労感がおそう。

その場合は諦めに乗っかって変化すればいいのだが、精神疲労がたまっている場合は不安のプログラムも発動しているので、変わることへの不安が強くある(しがみつき傾向)。

そして、その不安が最大限に発動しているが状況がよくならないため無力感が襲う。

次に発動するのは、生きることをあきらめるプログラムである。

 

 

では、どうやってその状態から回復するのか。

中途半端に紹介するのが一番よろしくないと判断したため、本書を読んでいただくか、精神科へ行くことをおすすめする。

 

人はどうして死にたがるのか (サンマーク文庫)

人はどうして死にたがるのか (サンマーク文庫)

 

 

「人はなぜ死ななければならないのか」

困ったことに人間は死ぬ。

なんで死ななければならないのだろうか、疑問に思うのも無理はない。

なので読んでみたのがこの本。

人はなぜ死ななければならないのか (新書y)

人はなぜ死ななければならないのか (新書y)

 

 「人は何のために生きるのか」という問には「~のために」という概念が含まれる。

これは意味や目的を求める概念であり、人生にそういったものを求める心理があり、それは

「無限のただなかに置かれた有限な存在としての自己」という観念に発する「恐れと驚き」のうちにこそある。

と著者は言う。

要するに宇宙には無限に時間があって無限に空間があるのに、自分は有限であることに恐怖を覚えるということである。

 

それでもって、意味や目的というものは具体的な「到達点」を想定して始めて成り立つ。

それは一定の未来時点、現在の外側の未来時点に設定される。

ならば「生きること」の意味も外側の未来時点に設定せざるをえない。

さて、「生きること」の外側の未来時点がどこかといえば、死である。

すなわち生きることの意味を問うたならば、答えは「人は死ぬために生きている」ということになってしまう。

「人は何のために生きるのか」という問の立て方に論理的なまずさがある。

もともと意味や目的というのは人生の「内部」につきまとうものであり、その場合にのみ合理的になる。

だが、人間は人生全体に「外部」から意味付けをしようとして不条理な結論になってしまう。

 

人生に意味はないということかといえば、人生全体に対しては意味や目的は発見できない。

だが、人生の内部における個々の営みには意味や目的を見出している。

恋愛やら結婚やら快楽やら仕事やら芸術やら遊びやら、そういったものに意味を見出している。

私たちの生が絶対的に有限なものであるからこそ、私たちは生の内部に意味や目的を耐えず「仮構」しなくてはならない。

意味や目的は与えられるものではなくて自ら作り出すものである。

そうして人生を不幸にしないようにすることを目指す。

「人は何のために生きるのか」という問は「人はどのような意味や目的を設定すれば人生をできるだけ充実したものにできるか」という問に置き換えなければならないと著者は言う。

 

 

人生全体には意味も目的もない。人はそれを与えられないまま、ただ無意味に死んでいく----そんなことはわかりきったことだ。

だが、生に対する本能的な執着や情熱が少しでもあるかぎり、人は何らかの物語に己を託して生きていくのである。

生きる意味や目的とは、あらかじめそこに「ある」ものでもなければ、思索によって探り当てられるものでもない。

それは、人生全体の中の個々の部分において、それぞれの人が自ら仮構し、創り出すものである。(p.83)

 

「資本主義の終焉と歴史の危機」脱成長の経済システムを生み出そう

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

 

 利子率=利潤率が2.0%を下回る期間が10年も続いているともはや既存の経済・社会システムは維持できないという。

利潤率が低いと投資しても対してリターンがない。

もはや投資が隅々まで行き渡った。

地理的・物的空間には投資先がない。

そこでアメリカはITと金融自由化で新たな「空間」を生み出して延命をはかった。

結果としてITバブル、不動産バブルで国内がターゲットとなり格差が広がった。

 

アベノミクスのような量的緩和しても、金が国内だけで回るわけではないのはグローバルな時代にはしかたのないこと。

過剰なマネーは新興国に投資しても限界はくる。

 

「成長」をもとめればバブルが起き、バブル崩壊で信用収縮。

そしてまた次の「成長」をもとめバブルが起きる。

それの繰り返し。

もはや飽和状態となっている現状。

 

 

近代の延長上で成長を続けている限りは、新興国もいずれ現在の先進国と同じ課題に直面していく。

次に覇権を握るのは近代資本主義の土俵にのっている限り無理である。

新たな経済・社会システムを作り出した国が覇権を握るのである。

そして、それの可能性が高いのが日本だと著者はいう。

なぜなら、資本主義の限界をもっとも早く迎えているからだ。

 

 

資本主義の最終局面では、経済成長と賃金の分離が必然的な現象となる。

このままグローバル資本主義を続ければ、「雇用なき経済成長」が起きる。

経済成長を目的とする経済政策は、危機を高めることにしかならない。

 

ゼロ金利が続いているということは、近代資本主義からの卒業を示唆していると著者はいう。

「脱成長」を著者はすすめる。

だが、それは後ろ向きな意味で使っているのではなく、いまや成長主義こそが「倒錯」しているからだとのこと。

 

 

 第五章は「資本主義はいかにして終わるのか」というタイトルがついている。

資本主義の本質は富やマネーを「周辺」から「蒐集」し、「中心」に集中させることである。

グローバル資本主義は国家の内側に「中心/周辺」を生み出すシステムである。

資本主義は資本が自己増殖するプロセスなので、利潤を求めてあらたな「周辺」を生み出そうとする。

それを新興国に求めたり、国内の格差に手を付けたりするのだ。

だが、現代には「周辺」が殆ど残されていない。

そうなると、もう資本主義が立ち行かない。

 

どうすればいいのかといえば、「ゼロ成長」にするしかないのだが、それすら難しいと著者は言う。

経済を定常状態にできるのが望ましいが、1000兆円の借金や高騰する資源価格によってそれすら難しいとのこと。

とにもかくにも、近代資本主義はもう無理なので、新たな経済システムが必要。