サラダバーで結納

本当によくあるブログ。作品の感想や思ったことを書いているブログ。

「物理学と神」

「なぜ光速は秒速30万キロメートルなんですか?」 と問われた時の答えは「そうなっているから」としか言い様がない。

理由はさっぱりわからないが、この宇宙ではそうなっている。

だが、それを「神がそうした」と信じちゃえば、もう理由は必要なくなる。

でも、自然科学の最終目標は「なぜ」に答えることであって、神がやったなんてことで納得するわけにはいかない。

 

もし神が世界が作ったのならば、宇宙は定常しており膨張も収縮もしないはず。宇宙は無限にあるはず。無限のエネルギーを作り出せるはず。確率でなく決定論に従うはず。複雑にせず単純で美しい式で理解できるはず。対称性の保たれた世界のはず。

だが、明らかになっていったのは神との決別だった。

 

地球が宇宙の中心なら神は地球にいる。なのに、天動説は間違っていたから神は地球にいなかった。

 無限のエネルギーを作り出せる神の奇跡こと永久機関は不可能だった。「無から有は生じない」という当然のことだった。

 「夜空はなぜ暗いのだろうか」。宇宙が無限ならば星だって無限にあって、地球の夜空はありとあらゆる方向からやってくる光に照らされて明るいはずであるが、現実はそうではない。

神には無限がふさわしいと考えていたから、無限が付きまとうのだった。

 

電子の位置は確率でしかわからないと発覚したのが量子論だった。

アインシュタインの「神はサイコロ遊びをしない」という言葉は虚しくも否定され、世界は確率でしかわからないことが確定した。

 

そして、神が作った宇宙は無限でもなく定常してもいない。有限であり膨張していることがわかった。

ますます神のやったことから離れていった。

 

量子論のようなミクロの世界は確率だが、マクロな世界はニュートン力学でわかるはずだったのに、カオスと呼ばれる現象が発覚して、予測不可能な現象が多々あることがわかった。

 

そして人間原理にたどり着く。

宇宙を観測する存在がいなければ、宇宙の存在が永遠に認識されない。

ということは、人間がいなければ宇宙はあってないようなものだ。

ならば、宇宙は人間を生み出すことが条件になっていると考えたのが人間原理だ。

もはや神は必要ない。人間のために宇宙があるというのだから。

 

 神が完全ならば対称性の高い水準にいつづけるはずだが、世界は対称性が破れに破れまくっている。破れた結果生命が誕生したのだから、完全とは程遠い世界のおかげで私達人間は存在する。

 

 完全なる神が作ったにしては、この世界は出来が悪い。

 

 

そして、著者は今現在の宇宙論に対して疑問を呈している。

宇宙のほとんどを観測できていないのに宇宙論を作り上げていくのはどうなのか、と。

日本だけを見て地球の全体像を論じていたら馬鹿だと思うだろう。

それと同じで、自分たちの観測できることだけで宇宙を語るのはどうなのか、と。

 

 

私は一時宇宙論にハマった。

超ひも理論M理論、量子重力理論、ホーキングの宇宙論ペンローズ宇宙論などなど、とにかくいろんな宇宙論に興味をもった。

だがある時、どの宇宙論も正しくないし間違っていないということに気がついた。

それぞれの理論のロマンばかりが先行しているだけだと。

それ以来、私は宇宙論に興味がなくなっていったのだが、この本を読んで完璧に宇宙論への興味がなくなった。

宇宙のほとんどを観測できていない状況で作り上げられた宇宙論に興味がなくなったのだ。

自分が生きている間に宇宙の全体像など判明することもないだろうから、追いかけても仕方がない。

私はこの本を読んでそう思うに至った。

神が宇宙を作ったのかどうかすらどうでもよくなってしまった。

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