サラダバーで結納

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「我は僕ならずや(完全な真空)」 

スタニスワフ・レムというSF界の巨匠がいる。

その人物が書いた架空の本の書評集が「完全な真空」である。

完全な真空 (文学の冒険シリーズ)

完全な真空 (文学の冒険シリーズ)

 

 いくつもの書評がのっているのだが、この記事では「我は僕ならずや」という本の書評について書きたいと思う。

 

「我は僕ならずや」という本は、パーソノイドというコンピュータの中の人工生物について書かれた本らしい。

この人工生物は数学的な存在で、肉体のない精神的な生命である。

 

まぁ最初は、こいつらの作り方とか設定とかそういう話から始まる。

んで、この「我は僕ならずや」はこいつらに干渉せずに進化していく様を観察した結果が書かれているわけだ。

 

パーソノイドにどうやって意識をもたせるかという話から意識とは何かという話になる。

意識というやつがなぜあるのか、それは「和解」のためだという。

ここでいう和解は他人と和解するという意味ではない。

脳の機能には相反するものがたくさんある。反射運動と熟考、衝動と抑制などだ。

この矛盾する機能を備えた理由は脳が進化するたびにわけのわからない機能を付け加えてきたからである。

古い機能を捨てず、新しい機能をつけくわえ続けていきた。

その結果、矛盾の仲介役が必要となりそいつが和解を計画する必要がでてきたのだ。

しかもこの和解は終わることがない。

終わることのない和解を引き受けたのが意識なのだ。

 

言い換えると脳は合理的でないから意識が生まれたということだ。

合理的だったら意識なんざ必要ない。なぜなら仲介する必要などないからだ。

これでパーソノイドに意識をもたせる方法がわかるだろう。

パーソノイドを合理的じゃないものにすればいいのだ。

世界が合理的だったとしても、パーソノイドは合理的じゃない。

そうすれば意識は生まれるのだ。

 

 

さて、ここで少し脱線しよう。

伊藤計劃のハーモニーというSF小説のネタバレの話になるので、注意してほしい。

ハーモニーの物語は脳を合理的なものにしたらどうなるかというものだった。

結論は意識がなくなるというものであった。

「我は僕ならずや」と「ハーモニー」は同じことを言っているわけだ。

合理的な脳には意識が必要ない、と。

ハーモニー ハヤカワ文庫JA

ハーモニー ハヤカワ文庫JA

 

 

 

 

さて、パーソノイドの話に戻ろう。

意識を持つパーソノイドは時々他のパーソノイドと接触することがある。

そうすると、純粋な精神体のパーソノイドは接触した相手を吸収したり破壊したりすることがある。

その結果パーソノイドは「死」を理解しはじめる。

 

次に、パーソノイドは創造主について考え始める。

神がいるのか、いないのかについて議論しはじめるのだ。

ここからは神の話になっていくのだが、ここの議論は人間にも余裕で通用するレベルの話である。

というか、スタニスワフ・レムは神の話がしたいがためにこの架空の本の書評を書いたとしか思えない。

神はいるの、いないの? いたらどうなの? いてもかわらないの?

全知全能なら干渉してこないでしょ?

そういったことに懇切丁寧にこたえるパーソノイド。

 

だが、知っての通りパーソノイドには創造主たる人間がいる。

実験をしているドフという人物は、パーソノイドを消滅させたり好き勝手にできる。

彼らにたいして全能である。

だからといって、奉仕してもらったり感謝してもらう権利はない。

パーソノイド達はドフに対して何の義務も負っていないのだから。

tsukenosuke.hatenadiary.com