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サラダバーで結納

本当によくあるブログ。作品の感想や思ったことを書いているブログ。

「ああ今死んでもいい」と思った瞬間の話

「今死んでもいいや」と思う瞬間というものを体験したことがありますか?

そんなものはないと私は思っていたのですが、ありました。

ええ、ありましたとも。

他の人から見れば「そんな程度のことで?」と思われるようなことなのですが、あの瞬間だけは「死んでもいい」と思ったものです。

 

どんなシチュエーションだったのかといえば、お昼ごはんを食べた後、ひとり椅子に座りながらひなたぼっこをしていたんです。

イヤホンで音楽を聴きながら、何をするでもなくただボーっとしていたんです。

その時、風で揺れる洗濯物が目に入ったんです。

その瞬間「ああ今死んでもいい」と思ったんです。

 

昼ごはんたべて満腹だったことや、ひなたぼっこしていたからセロトニンが生成されていたとか、聴いていた音楽に感化されたとか、そういうのが重なりあっただけかもしれないのですが、あの瞬間に感じた「今死んでもいい」という気持ちに偽りはないわけです。

 

 

昔読んだ本に「自死という生き方」というものがあります。

前に記事にもしました。

 

この本に伊丹十三のエッセイのことがのっていたんです。

私は、ですね、一言でいえば「幸福な男」なんです。然り。私は幸福である。

あのね、正月なんか、女房子供と散歩するでしょう? うちの近所は一面の蜜柑畑ですよね。

その蜜柑畑の中の細い道を親子で散歩しているとだね、あたりはしんと閑まりかえって、鳥の声だけが聞こえてくる。

太陽が一杯に降り注いで、蜜柑の葉がピカピカと輝いている。

静けさがね、こう、光って澱んでるんだな。

遠くに海が燦いている。子供の声が澄んで響く。私は女房と黙々として歩く。

こオリゃ、しあわせだぜ、こオリゃしあわせですよ。

ああ、こうなるために俺は今まで生きてきたんだと思いますよ。

もう、なにやら、こう、大きなんね、光り輝く金のオニギリをね、もうぱくぱく食べている感じね。

自分にこんな瞬間がくるのだろうか、と思っていたのですがどうやら私のところにやってきたあの「今死んでもいい」という感覚はこれに近い気がするんですよ。

伊丹十三氏の幸せの感覚は文を読むだけでものすごい幸福だという感じは伝わってきますから説得があるのですが、いかんせん私が感じたものはどうしても説得力にかける。

誰かを説得したいわけではないのですがね。

 

 

あの「今死んでもいい」という感覚のときは未練が一切ないのです。

この瞬間が最高潮だと感じているので「これ以上に何を除くというのか」という気持ちになります。

もちろん、ひなたぼっこをやめて音楽を聞くのもやめてしまったあとは、あのときの感覚は蘇ってこないし、数時間後には嫌なことを思い出して「あ~うぜぇうぜえ」という気持ちになっていました。

 

でも、大事なのはあの瞬間がたまらなく素晴らしい瞬間だったということです。

 

 

ちなみにそのとき聴いていた曲はこれ

www.youtube.com

 

 

伊丹十三の本

伊丹十三の本