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サラダバーで結納

本当によくあるブログ。作品の感想や思ったことを書いているブログ。

久しぶりにやってきた教えたいモード

人間というのは今まで知らなかったことを知ったりすると、誰かにそのことを教えたくなるものでございます。

そういうのは誰でも経験があると思うのです。

九九を覚えた子供が親に向かって九九を言い続けるのは「こんなことを今日知ったんだよ!」と教えたくなるからなのです。

 

昔、科学系の本を読み漁っていたとき同じ状況になりました。

無知すぎて自分は相当やばいと危機感を持ったために読み始めたブルーバックスの新書達。

読む度に知識が増えて、そのことをいいたくていいたくてたまらなくなりました。

「光ってのは電磁波なんだよ!」と。

「赤外線は虹の赤色の外側にある周波数だから赤外線っていうんだよ!」と。

 

そして、知識がつくと今度は疑似科学批判をせずにはいられなくなります。

マイナスイオンドライヤーとかなんだよ!」といった感じになるのです。

 

ですが、時間がたつとそういった気持ちはなくなります。

知った時の感動がなくなるので「こんなこと誰でも知っているだろ」と思うようになるのです。

疑似科学に関しても「どれだけ言っても理解する気が無いやつは騙されるんだからほっておけばいい」と思うようになって、水素水だのグラビトン野菜だのを見ても「騙されるやつは何をしても騙される」という気持ちしかでてこなくなります。

 

 

ですが、今の私はまたとにかく教えたいモードに入っています。

というのも、仏教の本を読んだからです。

仏教といっても日本のクソ仏教ではなく、釈迦が教えた原始仏教のことでございます。

釈迦の論理はもう目からウロコ状態で、今まで自分では考えてもこなかったことばかりがかかれているのです。

無常、無我、空、といったものが私にとてつもない刺激を与えてきます。

知れば知る度に「おい、これはとんでもない発見だぞ!」といいたくなります。

「日本の仏教と真逆のことばっかりいってるじゃねぇか!」と震えるのです。

儀式や祭壇なんて必要ない、天国も地獄もねぇ、挙句の果てに「釈迦の言ったことを信じるな、疑問をもて」とまで釈迦は言っているんです。

「釈迦すげぇよ。こんなこと発見するとかすげぇよ。」という気持ちと共に、それらを誰かに教えたくなります。

ついでに、日本の仏教への文句がたくさん湧き上がってくるのです。

 

でも、それらを放出することはしないようにします。

教えたくなる気持ちもおさえます。

2日で4冊新書を読んだだけで偉そうに解説なんかできるわけがないからです。

 

仏教「超」入門 (PHP文庫)

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ブッダとそのダンマ (光文社新書)

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