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サラダバーで結納

本当によくあるブログ。作品の感想や思ったことを書いているブログ。

「ブッダとそのダンマ」 不可触民を解放しようとした人物の仏教

著者はB・R・アンベードガルという人物である。

不可触民というカースト制の外側に追いやられた人々は差別を受けてきた。

アンベードガルも不可触民の生まれであったが、留学したりなんだりでロンドンで経済学の博士論文を提出し、のちに弁護士の資格まで取得した人物である。

そのアンベードガルはインドに帰国後、不可触民解放運動を開始する。

そして後に50万人の非抑圧カーストの人々とともに仏教へ改宗したのだ。

仏教入門書が必要であると考え、アンベードガルは自分でそれを書いた。

それがこの記事で紹介する「ブッダとそのダンマ」である。

ブッダとそのダンマ (光文社新書)

ブッダとそのダンマ (光文社新書)

 

 ブッダが出家するまでのエピソードからはじまるこの本。

ブッダはいろんな人物に苦行のやり方を教えてもらい実践した。

結局苦行では何も得られなかったのだが、苦行をやめ自分のやり方でついに悟りを開いた。

そして、その智慧をいろんな人物に教え帰依させるエピソードが序盤の流れである。

 

 

ブッダの教えの部分は第3部から始まる。

個々のエピソードに興味がないならこの第3部から4部までを読めばいい。

八正道とか伍戒とか三毒とかそういう話をわかりやすく書いている。

「殺さない、盗まない、嘘つかない、不倫とか淫行しない、酒飲まない」ってのが伍戒で、これは出家した人ではなく在家の信者に向けての戒めだ。

八正道は修行者とか僧侶向けのものだ。

そういうのが詳しく知りたいならば検索してもらえばたくさん出てくるので、そっちに任せる。

 

 

この本において印象に残ったのは「不殺生」について解説した部分だ。

不殺生、要するに「殺すな」ということであるが、これが混乱を招いているのだという。

というのも、ブッダはいかなる定義もしていないのだ。ただ「不殺生」を実践しろといっているだけだ。

人間を殺すな というのは簡単だ。

だが、生き物を殺すな となると非常に難しい。

 

アンベードガルはこれについて論考する。

「ブッダは布施として出された肉は食べた、僧侶は自ら手をくださなければ肉を食べてもいい」と言った。

他にも「不殺生を絶対的教義とするのは極端すぎて仏教教義ではない」と言っている。

そして「何ものも殺そうと欲することのないよう総てを愛せ」と言っている。

要するに、「不殺生」は「総てを愛せ」という意味なのだと解釈したのだ。

殺そうとする意志 と 殺す必要 を区別しろということだ。

そして、不殺生は「殺そうとする意志」を禁止していると解釈したのだ。

 

ほかの仏教関係の本を読むと、不殺生を殺す事自体の禁止と考えているものもある。

だからきっと異論が出るのだろうが、まあそれは個々でいろいろ考えればいいだろう。

 

このアンベードガルの本はカースト制で差別を受けている人々を解放するために書かれた仏教の本なのだ。

アンベードガルは仏教でその人達を救済したかったのだ。

あまりにもきつい縛りをいれたり、悟りを開くことの難しさを強調したら、改宗しないだろう。

アンベードガルは「真の仏教はいかなるものでなければならないか」といった立場から離れて自由にかいている。

なぜなら、第一部に出てくるブッダが出家するまでのエピソードは創作だからだ。

 

アンベードガルは仏教の本質は 人と人との正しい関係の確立=慈悲の心を基礎として道徳の確立ににあると考えているのだろう。

他の宗教では神が占める位置を道徳性が占めているのが仏教の特徴なのだ。

そして、「涅槃」という仏教の中での最高の境地を、正しい知識をもち、妄執からくる「苦」を克服し、道徳を実践する人に具わる「静寂な心理状態」としているのだ。

実にわかりやすく、実践しやすいではないか。

これなら自分にも出来そうだと思える実践重視の仏教。

それがアンベードガルの考える仏教なのだろう。

 

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

アンベードカルの生涯 (光文社新書)