サラダバーで結納

本当によくあるブログ。作品の感想や思ったことを書いているブログ。

やっぱり生にさほど執着しないね

北海道で7歳の少年がしつけで置き去りにして行方不明になったけど、自力で自衛隊の施設にやってきた件で思ったことがありまして。

あ~別にしつけがどうのこうのとか、子供のたくましさとかそういうことではなくてですね。

周りの反応のほとんどが「見つかってよかったね」ってやつなんですが、私はそういう気持ちが一切出てこないんですね。

死んでようが生きていようがどっちでもいいよ という感覚なんですよ。

だから、何も思わなかったわけです。

正直なところ、東日本大震災とか熊本地震のときも、人が死んだことに関して何も思わなかったんですよね。

で、生き残った人が生き続けようが死のうがそれも別にどっちでもいいという感じなんですね。

避難生活はしんどそうだなぁとは思うんですね。だから寄付はしたんですよ。

でも、寄付して1人でも多くの人に生きていて欲しいとは思っていないんです。

寄付はしたけども死んだら死んだかなぁという感じなんですよ。

 

で、この感じは他人に対してだけじゃなくて自分にも当てはまるわけなんです。

自分が生きていようが死んでいようがどっちでもよくて、死にたいわけではないけども、強く生きたいと思っているわけでもないんです。

生に執着がないといえばいいのか。

この感じは問題だとずっと思っていたんです。

いつかかわるかな~とは思っていたんですが、とくに変わらなかったですね。

そんな時に仏教を知って「生に執着すると心が汚れる」みたいなことが書いてあったので、「あ~これでよかったのか」と思ったんです。

「とにかく生きたいという欲」はよろしくないってことで、死のうが生きようがどっちでもいいというような執着のない状態が一番良いということがわかったわけです。

自分の命すらそんな感じなので、他人の命も当然そんな感じにしか思わないんですよ。

 

 

生に執着はないんですが、悩みとか不安に関しては思いやりの気持ちをもてるんですね。

なんといえばいいんだろうか。

生きるか死ぬかの問題には興味がないんです。

でも、日々の生活の中での悩みとか不安に対しては同情の気持ちとか、幸せになってほしいとかそういう気持ちが芽生えるわけです。

ここが謎だったんですよ。

でも、仏教はそういう気持ちを持てと説いているので、おかしくはないことなんだということがわかりましたよ。

「執着したり欲望をもったりせずに、慈悲の心でいなさい」というのが仏教なんですよ。

 

たぶん、私に仏教がすんなり入って来たのは自分の性格と合致するところが多かったからでしょうね。

自分の中で謎だったところを仏教では正しいと教えていたわけですから。

 

 

あと全然関係ないですけど、仏教の心の解説は脳科学を勉強した人間ならすぐに理解できると思います。

無意識が行うことの多さとか意識がやれることの少なさとか、そういうことがわかっていると仏教の解説は本当にするする理解できると思う。

私は脳科学の本を読み漁っていたから、仏教の心の解説は即理解できた。

 

なんというか、手に入れた知識がどこでどうつながってくるか本当にわからないね。

脳科学の内容が仏教の理解につながってくるとは思いもしなかったよ。

仏教にたどり着いてよかったと思いますね。

ただ日本の仏教には興味ないので、仏教の勉強は釈迦の教えで終わりです。

あと、とくに仏教徒というわけでもないです。

仏教の言っていることに納得がいって賛同できるってだけで、仏教徒になるわけではないです。

キリストが言った「隣人を愛せ」って言葉が好きだからといってキリスト教徒になるわけではないのと一緒のことです。

 

 

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死をおそれない生き方―執着するから怖いのだ

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