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サラダバーで結納

本当によくあるブログ。作品の感想や思ったことを書いているブログ。

クリシュナムルティの瞑想が合わなかった

雑文

クリシュナムルティという人物がいまして。

どういう人物かは説明するのが面倒臭いのでWikiにまかせることにして、このクリシュナムルティの瞑想というものがありまして。

方法は「あるがままをみる」というもの。

呼吸法とかない。姿勢なんてどうでもいい。

ただあるがままを見るのです。

あらゆる思考、あらゆる感情を抑制もせず、制御もせずに見守り、気づいていること、飛んでいる鳥を見るように、自己の偏見や歪曲などは一切なく見守ること----そのように見守ることが、すべての抑圧、役にもたたぬひまつぶし、自己改良、自己達成という考え方の彼方にある途方もない峻厳さの感覚をもたらす。

 これがクリシュナムルティのいう瞑想というやつなんです。

でね、これをやってみるとね、どんどん不安が増えていったんですよ。

今まで呼吸法とかそういうので感情を抑制する方向性でいっていたのに、真逆をやりはじめたもんだから、不安が暴走しはじめちゃったのよ。

そうしたら、瞑想始める前より調子悪くなりましてねぇ。

自律神経やられてきましたよ。

 

元々感受性が強めの私にとってあるがままを見るというのは逆効果だったみたいなんですよ。

ただ、クリシュナムルティはこうも言っています。

なぜわれわれは感受性の高い質を失っているように見えるのだろう---われわれ自身の問題や混乱に対してだけではなく、われわれのまわりのあらゆるものに対する感受性をである。実際に敏感であること、何かに対してではなく、ただ敏感なこと。 嵐や雨や暗闇や光に直面するために数日前発芽したばかりの新芽のように、感受性が強く、傷つきやすいこと。感受性が強いと傷つくように見える。傷を受けてわれわれは自分自身の中に閉じこもり、まわりに壁をつくり、かたくなで残酷になる。しかし、われわれがどんな醜悪な、残酷な反応もなしに敏感で、自分自身の存在のどんな動きにも、世界に対しても敏感で、どんな悔いもどんな傷も、どんな義務付けられた修行もないほど感受性が強いなら、そのとき、そこには不可測の存在の素質がある。

 とにかく感受性が強いならば、不可測な存在の素質があるとのことで。

むしろこっちに行けとクリシュナムルティは言っているようなのです。

で、これが私には合わなかったと。

 

思考も言葉もなく見守り続ける瞑想が私には合わなかった。

絶不調も絶不調。心臓いたくなるし、身体の免疫力低下してヘルペスでてくるし、自律神経やられて異常に汗がでるし。

主張はわかるし思考の害悪さには納得できるが、瞑想は合わなかった。

私は呼吸法などで感情や思考を抑制する方向性でないとダメみたいだ。

 

 

クリシュナムルティの瞑想録―自由への飛翔 (mind books)

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最後の日記

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