サラダバーで結納

本当によくあるブログ。作品の感想や思ったことを書いているブログ。

「とくにない」という主張が言いたいというか、言いたくないというか。

本を読む時は没頭することが大事。と前々は思っておりましたが、今は特にそういった思いはなく、没頭しようが途中でダレようが構わないと考えるようになりました。

というのも、没頭しなければ頭に入ってこないのは当然ではあるのですが、没頭していないと気がついたら後で読み返せば良いだけのことです。

本を読む時に毎回「没頭するぞ!」と気合を入れなければならないとなると、おおよそ趣味として成立しなくなってしまうでしょう。

そして、1回読んで何もかもを理解しようとするから、途中で挫折してしまう。

結局何が言いたいのかと聞かれた場合には「とくにない」という答えになるでしょう。

要するに「本を読む時に大事なことはとくにない」ということでございます。

 

文章には何かしら主張があるもので、それは伝えたい事があるから書くものなのですが、最終的に「とくにない」ということを伝えたい文章というのは、まわりまわって意味があるのかないのかわからなくなります。

「『とくにない』という主張は有用であるか」という主張に意味があるのかということでございます。

これに対しての答えは「状況による」としか言いようがありません。

結局のところ、具体性のない話には具体性のない結論が待っているだけの話になります。

 

 

この文章を書いている間にも気温は変化し、喉は渇き、心臓の鼓動は何度も重ねられているわけでございます。

そう考えた時にこの文章を書くこと、ましてや誰かが読むことに対してなにかしらの罪悪感を覚えるのではないかと危惧したのですが、そういったものは一切私の中にあらわれませんでした。

無駄であるという自覚をした上で、その無駄なことを継続する。

実に不思議な時間であります。

 

 

この記事を書くにあたって一番の悩みはタイトルを何にするのかということでございます。

記事を書くときに題材が最初からはっきりしているときはタイトルに困ることはありませんが、なんとなく書き始めて何が言いたいのかよくわからないまま終わってしまう記事の場合タイトルが何も浮かんできません。

なので、適当なタイトルにすることでお茶を濁すことにします。

この文章の後にタイトルを書きました。

 

 

「ない仕事」の作り方

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