サラダバーで結納

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自分の不安を消したいのに、慈悲の瞑想をする理由がわからなかった。

慈悲の瞑想というものがある。

簡単にいえば他人を思いやる瞑想である。

仏教ではこれを最初にやれと言う。

私はこのことにどうしても納得がいかなかった。

自分の不安を消したいのに、なぜ他人を思いやらなければならないのだ、と。

 

仏教は「私」にとらわれるな と主張する。

私なんてものは幻想で、そんなものにとらわれるから「私」のことばかり考えて、生きたいという欲望が生まれ執着するのだ、と。

だから、それをなくせと仏教は言うのだ。

これと他人を思いやることになんのつながりがあるのか謎であったが、ある時ふと気がついた。

他人のことを思いやることで「私」のことを考えなくなっていくのだ、と。

「私」のことを優先し、「私」のことばかり考えるから「私」に執着し、そして「私」のことが不安になるのだ。

「私の将来」に不安が生まれ、「私の過去」を引きずるのだ。

すべては「私」が原因なのだ。

 

これを解決するためには「私」のことを考えないようにしなければならない。

「私」のことを考えない。

ならば、誰のことを考えればいい、誰のことを思って行動すればいいのか。

そうそれは「他人」である。

 

他人のために行動すると「私」にとらわれなくなるから慈悲の瞑想をしろ ということだったのだ。

そのことに気がついてからは、積極的に利他行動をするようになった。

そうすることで「私」にとらわれなくなるから。

 

現代人のための瞑想法―役立つ初期仏教法話〈4〉 (サンガ新書)

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