サラダバーで結納

本当によくあるブログ。作品の感想や思ったことを書いているブログ。

意識と無意識の齟齬が生じていたらしい

ここ3ヶ月ぐらい不安が襲ってくる頻度が多くて、まいっていたんですよ。

とにかくいろんなことが不安になって、あれやこれやと不安がどんどんでてきたんですね。

ちょっとでも暇な時間ができると、すぐに不安が浮かんできたんです。

それで9月になってからそれがひどくなっていたんですが、一昨日不安感が消え去っていきました。

消えた理由というのは至極個人的なことなんですが、いろいろわかったことがあるのでそれを書いておきます。

 

 

まず、消えた理由は「自分は他人に興味がないのを認めたから」というものです。

仏教とかやっていたときに「利他的であれ」とか「慈悲の瞑想」とかをやっていたわけですよ。

これって要するに「他人を思うこと」ですよね。

でも、私は他人に興味がないんです。

心の奥底では他人になんかまったく興味がないんですよ。無意識レベルでは他人に興味がないんですよ。

なんですが、他人を思うことを意識的に無理やりやっていたわけですよ。

「他人のことを思わなければならない」という感じで。

そうすると、意識と無意識の間に齟齬が生じるわけですよ。

無意識レベルでは他人に興味がないのに、意識では他人に興味があるふりをする。

そうすると、無意識側が「他人に興味がないことを認めろ」ということをメッセージとして伝えてくるんですね。

その伝える方法として「不安」という感情を使ってくるんです。

意識と無意識の齟齬を解消するべく「不安」という感情を使ってくるんですよ。

 

不安症をなくす方法として「○○しなければならない」というものをやめたほうがいい というのがあります。

まさに今回の私はそれだったんですよ。

他人に興味がないのに「他人を思わなければならない」と思い込んでいたがために不安が襲ってきたんですね。

 

なので、「他人には興味が無い」ことを認めて、興味をもたなくていいと考えたんですね。

そうしたら、ピタっと不安が消えました。本当に消えました。

ちょっとでも何もしない時間があるとすぐに不安が浮かんできていたのに、それがピタっと止まったんです。

結局、自分の心の声を聞いてそれに従えばよかっただけなんです。

それで不安は消えたんです。

 

 

 

ただ不安が消えたのはいいんですが、本当にそれでいいのか?と思ったりもするんですよ。

無理やり自分を変えようとすると強烈な不安感に襲われるのはわかったけども、変えたほうがいいところはたくさんあるのに変えようとする度に不安感で潰れそうになるのか?と。

そうなると、私は今のままでしかいられないということになってしまうではないかと。

 

というか、無意識のほうが私の主体であるならば、意識ってのは一体なんなんだ?という気持ちになってくるわけです。

意識で無意識はコントロールできません。だから無意識があなたの主体ですってことですよ。

じゃあ意識ってのはいつも無意識のご機嫌伺わなければならんのか?と。

意識は無意識の奴隷か?って話ですよ。

だったら意識なんていらねぇよ!って話にはなりますわな。

 

これって意識は「私」ではないってことなりますよね。

なら「私」というのは無意識か?ってことになりますよね。

でも、無意識こそが「私」なんですって言われて納得できますか?

無意識に「私」という感覚はないですよね。

なのに「私」というのは無意識のことって言われても納得できないわけですよ。

となると、意識が「私」ではなくて、無意識も「私」ではないとなりますよね。

じゃあ「私」ってのはどこにもいないということになりますよね。

以上の内容により、無我ということになります。

「私」なんてものはない、という無我でございます。

 

空と無我 仏教の言語観 (講談社現代新書)

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