サラダバーで結納

本当によくあるブログ。作品の感想や思ったことを書いているブログ。

「”それ”は在る」 ヘルメス・J・シャンブ

非二元の本。

内容は、ある老人と探求者の対話ですべてが成り立っている。

だが、そんなことはどうでもいい。

この本はすごい本である。

とにかくすごい本である。

“それ”は在る

“それ”は在る

 

 気になったところを引用していく。

 

思考を止めようと躍起になれば、止めようとする思考に意識を向けることになり、思考はますます強化されるだろう。

だから、止めようとしないことだ。

止める必要さえない。

だから、否定もせず、受け入れもせず、ただ真実を観る、これだけだ。

解放してあげなさい。

思考を止めようと思う思考が思考を強くする。

 

 

 探求者のほとんどは、このように言っているのではないだろうか。

『さあ、私は明け渡す。

 さあそれでどうなる? どうなった?

 あれ、何も起きないぞ』と。

これが自己放棄なのだろうか。

<明け渡し>とは、<私>を放棄することだ。

<明け渡し>とは、つまりただ<在る>ことなのだ。

それは、<在る>ことによって、それから何かが変化するのかどうか、という結果にも、もはやまったくの興味を示さないちうことなのである。

『私を、明け渡す』と言い、それから一切を放棄するのはいい。

それ以降、<私>を手放すなら、それでいい。

しかし可能なら、<明け渡し>をする<私>を見つけた時点で、<私>を放棄するがいい。

 

ここまでの引用からだ「方法」という印象を受けるだろう。

なぜかといえば、この本が徐々に真我というものに迫っていく体裁をとっているからだ。

徐々に徐々に一歩ずつ進んでいく。

一歩ずつ進んでいくが、わからないところがでてくるだろう。

先に進んでもさっぱりわからなくなるかもしれない。

だが、それは現段階ではそこまで理解したという標だということだろう。

この本は、そういう風に読むといい。

 

理解できない所がでてきたらとまってみるのだ。

わからないまま進んでも仕方がない。

そういう気持ちにさせる本だ。

素晴らしい本である。

私はこの本だけあれば十分だという気がしている。

気がしているだけだが。