サラダバーで結納

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完璧主義に潜む「人生の重さ」

完璧主義の人がいる。

かくいう私もその一人だった。

完璧主義なだけで実際に完璧にできることはほとんどない人間であったが、とりあえず完璧主義であった。

なぜ完璧主義であったのか。なぜそれをやめれたのか。

その話をしようと思う。

 

 

・ちゃんとしなければならないという意識

完璧主義の人には「ちゃんとしなければならない」という意識があるだろう。

ちゃんとしなければならないから、完璧にこなさなければならないというわけだ。

私ももちろんそう思っていた。

「ちゃんと」の基準が「完璧」になっているが故に完璧主義なのだ。

一切の妥協を許さず、手を抜くこともできない。

なぜなら「ちゃんとしなければならない」からだ。

では、なぜ「ちゃんとしなければならない」と思うのだろうか。

 

 

それは「人生を重く考えているから」だろう。

自分の人生も他人の人生も重く考えるから、ちゃんとしなければならないと思うのだ。

人生は重いものだからプレッシャーを感じてしまう。

そのプレッシャーが「ちゃんとしなければならない」という意識につながり、そして完璧主義へと誘うのだ。

 

そこで考えてみるべきなのは「本当に人生は重いのか」ということだ。

私は人生は重くなど無いと考えている。

どうしてそう思うのかといえば、すべてに意味がないからだ。

人間はいつか死ぬ。

必ず死ぬ。

地球もいつか滅びる。

人類は滅亡する。

最後には宇宙も消失する。

自分がプレッシャーを感じているこの世界は、いずれ消失する。

自分が維持しようとしている命、社会、世界はいずれなくなるのだ。

なくなるとわかっていることに意味が見いだせるだろうか?

そう、意味はないのだ。

 

意味がないのだから、人生など重くもなんともない。

どうせ消失するのだから「ちゃんとしなければならない」と思う必要もない。

壊れるとわかっているのだから、適当で構わない。

そう考えるようになって完璧主義がなくなった。

人生は重くない。

だから完璧である必要はない。

 

がんばっていても不安なあなたへ―完璧主義からの解放

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