サラダバーで結納

本当によくあるブログ。作品の感想や思ったことを書いているブログ。

「どうせ死ぬ」というのがいつも頭から離れない

何をしたとしてもどうせ死ぬ。

この事実が常に頭から離れない。

何をするにしても「どうせ死ぬ」という思いがつきまとう。

 

人は「好きなことだけでは生きていけない」という。

そのとおりだろう。

だが、苦労したってどうせ死ぬ。

努力して知識や技術を身に着けて、まさに生きていくための能力を手に入れたとしてもどうせ死ぬ。

だから「どうせ死ぬから好きなことだけをやっていたい」。

好きなことだけでは長生きはできない可能性が高い。

だが、それがどうしたというのだろう。どうせ死ぬのだから違いは人生の長さでしかない。

好きなことだけをやったってどうせ死ぬが、嫌なことをして死ぬよりかはマシだろう。

80年生きれれば満足できるのか? 40年の人生だと満足できないのか?

私に言わせれば、どちらも満足できない。

どうせ死ぬから満足できない。

だから、少しでもマシな方を選べばいい。好きなことだけをして死ぬ方を選べばいい。

 

 

 

 

輪廻転生はあるという意見を目にする。

輪廻転生があるのだから死んでも無にはならないということだ。

それが事実だったとしても、なんだというのだろうか。

生きるために必要な知識や技術を今生で身につけたとしても、それは来世には持ち込めない。

なぜなら、ほぼすべての人間が前世の記憶をもっていないからだ。

今生で生きることにしか役に立たない知識や技術を身に着けることが一体なんだというのだろうか。

死んで生まれ変わったら、また一から覚え直す必要がある。

輪廻転生とは死んで一からやり直しを繰り返すだけのこと。

輪廻転生を繰り返したからといって生きるのが楽になるわけではない。

だったら、今生を楽に過ごせばいい。

努力して知識や技術を身につけて80年生きようが、好きなことだけやって40年で終わろうが、どちらも来世の人生に影響はない。

楽を選べばいい。どうせ死んで最初からやり直しになるのだから。

 

 

 

どうせ死ぬなら上手に死のう―死ぬのに必要な手続きのすべて

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