サラダバーで結納

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ロシアの怪物思想家「フョードロフ伝」

ロシア宇宙主義というものをご存知だろうか?

いや、知らなくても構わない。知らなければこの本を読めばいいのだから。

フョードロフ伝

フョードロフ伝

 

 フョードロフという人物は相当高く評価されている思想家である。

そんな思想家が一体何を主張したのか。どれほどすごい思想だったのか。

それは数行引用すればわかってもらえるので引用する。

意識によって支配される進化という新しい段階が不可欠であるという考えを示した。普遍的認識と労働によって、人類はおのれの内と外の自然力を支配し、それらをアクティヴに開発し、変容させるために宇宙へと出ていき、新しい不死という存在状態を獲得する、しかも過去に生きた諸世代を総動員してそれを行う使命があるというのである。

 要するに、意識を進化させ、自然をコントロールし、宇宙へと乗り出して、不死を獲得し、過去に死んだ人たちを復活させるのが使命、という思想を説いたのだ。

 

フョードロフの思想にとって重要なのは「死」である。

大抵の哲学者は「死」を避けがたいものとして扱ってきた。だが、フョードロフは違い

死とは、生を維持し互いに生を回復させる能力を欠く、未だ独り立ちできぬ未成熟な生の結果であり、表れにすぎないのである。

 と、主張した。

死というのは避けがたいものではない。人間がまだ未成熟で回復する能力がないから「死」があるだけだと言っているのだ。

成熟すれば死は回避できるというのである。

 

 

フョードロフにとって自然とは敵であった。それは、誕生や性によって分裂し、互いに闘争し、他者を排除し、死などに基づくある特定の存在様式としての自然が敵だったのだ。

自然は「相互撲滅」している。その自然が敵なのだ。

飢えと害悪と死をもたらす自然に対して人間は戦わなければならない。

そのような自然を変容させ救済しなければならない。

フョードロフはそう説いたのである。

 

 

フョードロフの教義の原点は

「天与のあるがままの状態ではなく、ありうべき状態である。」

「世界は、眺めるために与えられたものではない。世界を観照することが人間の目的ではない。人間は常に、世界に対して作用を及ぼすこと、自分の望むがままに世界を変えることが可能であると考えてきた」

 というものである。人間の存在は世界を変えるためにあるのだという。

だが、人々はそういったことよりも刹那的な肉欲に慣れてしまった。だから、フョードロフはそういった肉欲的なものから脱出し、世界を一変させるような労働の喜びや宇宙的創造の喜びを愛するように根気よく呼びかけたのだ。

 

だが、人間には自然を変容させる資格があるのだろうか。なぜできるのだろうか。

なぜフョードロフは、人間ができるのではなく神の命令であり、人間は救いをもたらす意思と活動的な実行者とならねばならないと説いた。

フョードロフの思想の自然科学的根拠としては、進化には上昇的性格があるという理念と、人間は自然の今後の発展の責任を担うべき自然の理性であるという認識があったのだ。

宇宙には無数の惑星があるが、地球には生命と意識が発生し人間が生まれ活動し、フョードロフによれば人間は宇宙で唯一の思考する存在であると考えていたため、宇宙の中心は地球であったのだ。

そう考えると、死んだ人たちの復活というのも、広大な宇宙に移住させ宇宙統治を実現させるために人間の数が必要となるために行うと考えられる。

地球はいわば人間を復活させるための養殖場なのだ。

最終目的としては、地上を天の王国にしなければならない。それが人間という存在なのだ。

ここでいう天の王国というのは、社会ユートピア主義者が主張してきたような、友愛を実現た地上の楽園のことではない。

というのも、完璧な人格をもった人間が生まれ、争いのない世界が実現化しても、その人々が死んでしまうならば意味がないからだ。

自然を支配し、不死に到達しなければならないと説いたのはそのためだ。

 

 

 

フョードロフの思想にふれると、富裕と貧困やら戦争やらで人間同士が争っている場合ではないという思いになる。

人間は自然法則を支配しなければならないという気持ちにさせる。

自然こそが敵であり、自然と戦わなければならない、と。

「人間はなぜ生まれたのか」という存在に関する疑問に対して「この宇宙を天の王国にするための必然な存在」とすることで一蹴する。

 

 

 

 フョードロフの思想の影響を受けた人々を紹介していのが↓の本だ。

tsukenosuke.hatenadiary.com