サラダバーで結納

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ココ最近の変化

ネイサン・ギルの「すでに目覚めている」という本をほぼ毎日読んでいる。

すでに目覚めている(覚醒ブックス)

すでに目覚めている(覚醒ブックス)

 

 正確にいえば、読むということが起こっている といえばいいだろうか。

読む理由は、これ以上の本がないから。

すでに目覚めているのだから、「私」を消滅させる必要もないし、ワンネスを認識する必要もない という主張の本である。

 

悟りを目指し始めた直後の頃にこの本を読んだときはさっぱりわからなかったが、色んな本を読み、非二元のいいたいことが少しずつ理解できてくると、すでに目覚めているという主張に納得できるようになる。

といっても、いきなりすべてがわかるわけではない。

徐々に徐々にといった感じである。

まぁ、そこは個人差があり、一撃を食らって至福感を覚える場合もあるだろう。

そのことはネイサン・ギルも言っているが、別に重要でもなんでもないと主張する。

すべては劇であって至福感を覚えようがなんだろうが、それは劇でしかない。

劇がどんな形をとったとしても、それは重要ではないのだ。

ただあることがある。

起こることが起きているだけ。

 

 

最近、「私」という感覚がだんだんと消えていっている気がする。

「私」がしているという感覚が減ってきているのは間違いない。

「私」の意思で手を動かしてこの文章を打ち込んでいるという感覚が弱くなっている。

ただ、起きているだけ。そんな感覚だ。

むしろ「私」がしているとなぜ思っていたのかわからなくなってきている。

「私」は何もコントロールしていないし、コントロールできない。

そして、「私」がいようがいないだろうがそんなことはどうでもいい。

どうでもいいのだ。

今この瞬間の世界は、ワンネスが描画しているものである。

この宇宙をまるごとワンネスが描画しているのだ。

これ以外ない。

だから、これが完璧。

「私」もこれ以外にないのだ。